
竹島問題で揺れる「史料」 鬱陵島を「日本島」と書いた大韓帝国日誌が投げかける論点
新史料は何を示したのか
2026年2月(単位)に、19世紀末(単位)の大韓帝国(単位)の公的記録にあたる日誌の中で、鬱陵島(うつりょうとう)に相当する島を日本側呼称の「松島」と書き、さらに「日本島」と記していた箇所が確認されたと報じられました。
この史料は、1896年(単位)のロシア皇帝ニコライ2世(単位)戴冠式に派遣された使節団の行程記録で、随員が残した日誌部分が同文の形で伝わっている、という整理です。所蔵先はソウル大学(単位)で、公開資料を研究者が分析した、という経緯も示されています。
「松島」「竹島」呼称の混乱が、争点を分かりにくくする
この話が難しいのは、島の「呼び名」が時代と地域で入れ替わり、混線してきた歴史があるからです。日本側の整理でも、現在の竹島はかつて日本では「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」などと呼ばれていた時期があった、と説明されています。
つまり、日誌に「松島」と書いてあるからといって、それが直ちに現在の竹島(=韓国側呼称「独島」)を指すとは限りません。むしろ今回のポイントは、当時の韓国側の高官クラスであっても、鬱陵島周辺の島々の識別や呼称が、現代の領有権論争に耐えるほど整理されていなかった可能性を示す、という点にあります。
それでも「領有権が決まった」とは言えない理由
史料が示すのは、当時の一部の公的記録に「日本島」と書かれた認識が存在した、という事実です。一方で、領有権は通常、継続的な統治、行政の実績、国際法上の手続き、戦後処理の経緯など、多数の要素を積み上げて判断されます。日誌は重要なピースでも、単独で結論を出せるタイプの証拠ではありません。
現状として、島は韓国が実効支配している、というのが国際報道でも繰り返し説明されてきました。
日本政府は、竹島は日本の領土であり、国際司法裁判所(ICJ)での解決を提案してきたが受け入れられていない、という立場を明確にしています。
他方、韓国政府は、独島は「歴史的・地理的・国際法的に明白な韓国固有の領土」であり、日本の主張は影響しない、という立場を繰り返し示しています。
問題の本質は「相手の主張が弱い」ではなく「検証の場がない」こと
今回の史料は、韓国側の歴史認識の一部に“揺れ”を示す材料になり得ます。ただし、ここで勝ち誇るような言い方をしても、政治的反発が増えるだけで、問題の前進にはつながりません。
むしろ核心は、史料の共同検証や、国際法の枠組みによる争点整理が進まず、「それぞれが自国向けに正しさを主張する」構図が固定されている点です。日本側がICJ付託を提案してきた経緯を踏まえると、少なくとも「第三者の場で争点をほどく」という選択肢を、なぜ避けるのかを丁寧に説明する責任は、双方にあります。
日韓関係への現実的な影響 安全保障と経済の損失をどう抑えるか
竹島(独島)をめぐる応酬は、外交文書や防衛白書などのタイミングで定期的に再燃し、相手国の外交・国防当局を動かす「儀式」になりがちです。実際、主張の記載をめぐって韓国側が抗議し、日本側も従来の立場を崩さない、という応酬は続いています。
日韓の協力が必要な分野は、北東アジアの抑止、海上交通の安定、サプライチェーン、観光・人的交流まで広いです。領土問題の存在自体は消えなくても、火がつくたびに関係全体のコストが上がる設計を放置するのは得策ではありません。
今回の史料を本当に活かすなら、相手国や国民を侮辱する言い回しではなく、「史料に照らして争点を具体化し、検証可能な形で提示する」方向が筋です。政府間で難しいなら、研究者同士の共同注釈、翻刻、一次資料の公開拡大といった形で、まず土台を固めるべきでしょう。




















