
2月のある朝、群馬県桐生市。まだ街が静まり返っている午前7時、氷点下の空気のなか、警察と入管の職員が住宅の前に集まっていた。
「出てきた」「ゴミ持ってる」
小さな無線の声が鳴る。2階のアパートからフィリピン人の女性がゴミ袋を手に外へ出た、その瞬間、数人の職員が走り寄った。「オーバーステイを自認しています」──。
この日摘発されたのは、在留期限を過ぎて日本にとどまっていた外国人4人。短期滞在や技能実習などの名目で入国し、期限が切れた後もそのまま暮らしていた。別の犯罪行為に関わっていたわけではない。けれど、それでも「不法滞在」は法律違反であり、日本ではれっきとした犯罪だ。
言葉をやわらかくしても、事実は変わらない
最近、「不法滞在」「不法移民」といった言葉がきつすぎる、という声が上がっている。「非正規滞在」「無登録移民」といった呼び方に変えるべきだ、という主張だ。国連や欧州議会でもその流れはあり、実際、海外メディアでは“illegal”という表現を避けるケースも増えている。
けれど、名前を変えたところで、やっていることの性質は変わらない。期限を過ぎても正規の手続きなしに滞在し続けることは、明確に法律違反だ。それは悪質かどうか以前に、法治国家としてのルールを逸脱している。
もちろん、すべてを杓子定規に片づけられる問題ではない。働いていた工場でケガをして解雇された。仲介業者に借金を背負わされて帰国の旅費もない。そんな人がいるのも事実だ。だが、苦しい事情があるからといって、法を無視してよいことにはならない。
正直に生きる人が報われない社会にしないために
群馬県は、全国でも外国人の検挙率が高い地域だ。昨年は検挙者全体の約12%が外国人で、そのうちの半分が不法残留者だった。多くは、農業や工場などの現場で働いていたという。
そういった現実を見て、「働いているんだからいいじゃないか」という意見もあるだろう。だが、正規にビザを取得し、税金を納め、ルールを守って暮らしている外国人も大勢いる。彼らにとって、「不法に居続けても働いていればOK」という風潮は、むしろ不公平だ。まじめにルールを守っている人こそが、馬鹿を見る社会になってはならない。
「弱者の立場」を隠れ蓑にした主張には慎重さが必要だ
人権団体の中には、不法滞在者に医療や福祉を保障するよう求める声もある。在留特別許可をもっと広く認めるべきだという提言もある。だが、それは一歩間違えれば、「違法状態を前提にした権利要求」になってしまう。
弱い立場にあることは理解できる。だが、その立場を盾に、法を超えるような要求を正当化するのは違う。そうした主張が通るようになると、「声が大きい人だけが得をする社会」になる危険がある。社会のルールが壊れていくのは、じつはそういうときだ。
ルールがあるからこそ、助け合いができる
もちろん、制度に穴があるのも事実だ。技能実習制度の見直し、仲介業者の監視、労働者の保護体制の強化など、日本側がやるべき課題はたくさんある。だが、それと「不法滞在を見逃すこと」は、まったく別の話だ。
助けるべき人はいる。けれど、助けるにはまずルールのもとに状況を整理する必要がある。ルールを破った状態を放置したままでは、正当な支援すら難しくなる。
「不法滞在」という言葉に感情は込められていない
言葉を変えたところで、違法状態であることの本質は変わらない。「不法滞在」という言葉には、差別や偏見が込められているわけではなく、単に法律に違反しているという事実を指しているだけだ。
必要なのは感情的な言葉の議論ではなく、事実を直視した上で、どう制度を整え、どう支援していくかという冷静な議論だろう。
日本に住むすべての人が、ルールを守りながら、安心して暮らせる社会であるために。そして、「まじめに生きる人が報われる社会」であるために──法と秩序の重さを、今一度忘れてはならない。
在留資格がない外国人は犯罪者?オーバーステイは犯罪なのか?摘発に感じたもやもや 「不法移民」を「非正規移民」に言い換える動きも