
「旧姓だと口座が作れません」「論文の名前がバラバラになってしまうんです」「出張先でホテルにチェックインできなかった」――。
これらは、いずれも日本の夫婦同姓制度がもたらした“名前のトラブル”だ。だが今、こうした問題が一つひとつ解消されつつある。
にもかかわらず、肝心の制度だけが、まるで昭和の時代に取り残されたままだ。
選択的夫婦別姓制度の導入を求める声は年々高まっている。中でも日本経済団体連合会(経団連)は、昨年6月に「通称使用の限界」と題した提言を公表。現行制度のもとで結婚後に姓が変わることで、キャリアや社会生活にどのような支障が出ているか、具体例を交えて訴えた。
これを受けて、政府の「氏制度のあり方に関する検討ワーキングチーム」(WT)は、各省庁の対応状況を精査。すると、「通称ではできない」とされてきた多くのケースで、旧姓の併記や使用が徐々に認められていることが分かった。
たとえば、金融機関。かつては戸籍上の姓でなければ口座が開けないというケースが大半だったが、現在では銀行の7割が旧姓での口座開設に対応している。クレジットカードも、主要5社のうち1社で旧姓名義が認められ始めた。契約書の署名も、民法上はビジネスネームであっても効力に問題はないと法務省は説明している。
不動産登記においても、2024年4月からの制度改正により、旧姓を併記することが可能になった。法人登記においては、2015年からすでに旧姓併記が認められており、運転免許証やマイナンバーカードにも旧姓を載せられるようになった。
ここまで各方面で通称使用が認められてきたのなら、なおのこと疑問に思う。なぜ、結婚後も自分の名前を“そのまま”名乗ることが、制度として認められないのか。
日本は世界で唯一、夫婦同姓を法律で義務付けている国だ。もちろん「同姓を選びたい」という人の意思があることも事実だ。問題なのは、別姓を望んでも選べないという“一択強制”の状況だ。
キャリアへの影響も無視できない。研究者の世界では、論文の執筆者名が実績そのもの。姓が変わることで同一人物として認識されなくなったり、過去の業績が埋もれてしまったりする。特許申請でも同様だ。これらに対して、旧姓の併記や注釈などの対応は進んではいるが、あくまで「例外措置」だ。制度が変わらない限り、結婚=改姓という呪縛から完全に自由になることはできない。
国際舞台ではさらに厄介だ。国際機関に勤務する場合、公的な書類や登録では戸籍上の氏名を使う必要があり、姓が変わると「別人」と扱われるケースもある。長年積み上げた職歴や信頼が、たった一度の改姓で分断されてしまうのだ。
海外渡航時の混乱も深刻だ。現地スタッフが旧姓でホテルを予約し、パスポートとの名義不一致で宿泊を拒否された事例もある。出入国審査で余計な説明を求められ、余計なストレスと時間を費やす人も少なくない。外務省は旅券への旧姓併記を認め、「Former surname」と注釈を入れるよう改良したというが、そもそも制度の矛盾がこうした現場の混乱を生んでいる。
一方、マイナンバー制度や保険証、年金制度などでも旧姓の併記が進み、実務上はかなり柔軟になってきた。それだけに、いまだに“法律上の姓はひとつだけ”という縛りが、かえって異様にも感じられる。
改姓は、単なる“名前の変更”ではない。その人の人生、積み上げてきた時間、対外的な信用、そして自分自身のアイデンティティに直結している。
「夫婦は同じ姓であるべき」「家族の一体感が大事だ」といった価値観が否定されるべきだとは思わない。だがそれは、強制ではなく“選択”であるべきだろう。
誰かの伝統を守るために、誰かの人生が損なわれていいわけがない。
実際、2015年の最高裁判決では、「夫婦同姓を定めた民法の規定は合憲」とされたものの、同時に「制度の在り方は国会の立法政策に委ねられている」とも述べられている。つまり、変えるかどうかは政治の意思次第だ。
すでに通称使用の“障害”は、多くが制度の運用改善で解決されている。ならば、残る一歩――それは、制度そのものを変えることではないか。
選べるようにするだけだ。別姓を強制するわけではない。ただ、自分の名前で生き続けたい人に、それを許す制度をつくる。それだけで、救われる人がたくさんいる。
その現実を、いつまで見て見ぬふりをするつもりなのだろうか。
対象項目 | 対応内容 | 所管省庁 |
---|---|---|
金融機関の口座開設 | 銀行の約7割が旧姓名義に対応 | 金融庁 |
クレジットカード発行 | 大手5社のうち1社が旧姓名義を認可 | 経産省 |
契約書への署名 | ビジネスネームでも民法上問題なし | 法務省 |
不動産登記 | 旧姓併記が2024年4月から可能 | 法務省 |
法人登記(役員) | 旧姓併記が申出により可能、証明書類が必要 | 法務省 |
研究者の論文・特許 | 旧姓併記や注釈対応、e-Radで申請可 | 内閣府・特許庁 |
国際機関での勤務 | 国際機関就職支援・女性参画促進を計画 | 内閣府 |
パスポート | 旧姓併記可、『Former surname』注釈付き | 外務省 |
マイナンバーカード | 旧姓併記が可能 | デジタル庁・総務省 |
運転免許証 | 申請により旧姓併記可能 | 警察庁 |
住民票 | 希望により旧姓併記可 | 総務省 |
年金振込 | 旧姓口座への振込対応を開始 | 厚労省 |
健康保険証 | マイナ保険証・資格確認書に旧姓併記可 | 厚労省 |
介護保険 | 保険者の判断で旧姓併記可 | 厚労省 |
地方税・国税 | 戸籍名が原則、他省庁状況を参考に検討中 | 総務省・国税庁 |