
目指すべきは「何を」「いつまでに」「どうするか」の明確さ
政策や公約に「いつまでに」の期限や「どれだけ」という数値が示されていないと、それはほとんど有権者への約束ではなく、単なる宣伝文句にすぎません。政治家や政党が「景気を良くする」「教育を充実させる」「子供を守る」といった抽象的な言葉だけを並べるのは、言い換えれば“成果を測らせない”という選択です。成果が測れなければ、責任を追及できず、「言っただけ」で終わってしまうからです。
そもそも、政策というものは、会社や組織でいうゴールとマイルストーンを設けることで初めて意味を持ちます。「最終目標(KGI:重要目標達成指標)」「中間指標(KPI:重要業績評価指標)」という概念は、行政でも有効だと公式に定められています。
それなのに、政治の場ではこの手順を無視したまま、「いいこと言っておけば票になるだろう」という姿勢が横行している。これを私は、有権者に対する無礼な態度だと断言します。
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数値と期限を示さない政治は有権者を舐めている
たとえば、ある政党が「子育てを支援します」と打ち出したとしましょう。支持者や候補者の演説を聞くと、「安心して子どもを育てられる社会をつくる」と言われる。ところが具体的な数字も目安もなければ、「いつまでにどういう手段で」という説明もなく、途中経過を報告しません。こういうものは、成果が出なくても「仕方ない、時代の流れです」と言い訳されがちです。
逆に、もし「2028年までに出生率を1.6に引き上げる」「そのために3年間で保育所を2,000箇所増設し、月あたりの保育料を20%引き下げる」という数値と手段が明記されていれば、有権者は「この政策、現実味があるか」「進捗はどうか」を判断できます。
行政側も「これをやる」と宣言した以上、それに向けた動きをチェックされる覚悟が生じます。実際、行政機関の政策評価の指針では、「KGI・KPIを数値や状態で記述」「確認時期を記載」のように定められています。
数値と期限を示さない公約は、「選挙が終わってから何をしてもバレない」という甘え、あるいは「責任を負いたくない」という逃げでしかありません。これを、有権者はきちんと見抜くべきです。
実行手段も曖昧なら、そもそも約束ではない
さらに言えば「どうするか」の説明がなければ、いくら「何を・いつまでに」と言っても空論です。政策が目標を達成するためには、財源、制度設計、実行体制、担当部署、進捗管理…といった“実務的な設計”が伴わなければなりません。これがなければ、ただの夢物語に終わります。
たとえば「実質賃金を5%上げる」というKGIを掲げても、それを「最低賃金を年間3%ずつ上げ、非正規率を◯ポイント下げる」といったKPIに落とし込まなければ絵に描いた餅です。企業で目標管理をするなら当然のことが、政治では後回しにされがちです。実際、KPI・KGIの考え方を紹介する資料では、KGIを設定し、KPIを分解していく手法が紹介されています。
つまり、公約が「こうするからこうなる」と因果を示していないなら、有権者は「この政策、本気なのか?」と疑問を抱くべきです。言葉を飾るばかりで中身がない公約は、信用に値しません。
有権者・メディアもチェック機能を果たそう
最後に、有権者自身、そしてメディア・論者にも責任があります。投票の際には「この政策は何を目指していて、いつまでに達成するのか」「そのためにどう動くのか」が明確かどうかを基準にすべきです。数値も期限も手段も書かれていない公約には、票を投じる前によく疑問を持つべきです。
また、メディアや市民団体は、公約実現状況の進捗をチェックし、公開・報告する役割を果たす必要があります。これは単なる“見張り”ではなく、政策を実効あるものにするための社会的な検証機能です。行政の世界でも、「目標設定→進捗管理→評価・改善」という流れ(PDCAサイクル)が明記されています。
数値と期限がない公約は有権者をバカにしている。言い換えれば、「票はもらうけれど、責任は取らない」というメッセージを含んでしまっています。私は、政治とは結果で評価されるべきだと考えます。政治家や政党が「言うだけ」の公約で終わらぬよう、有権者もよりシビアに、公約の質を見極める力を持たねばなりません。




















